引っ越し前夜

明日は引っ越し。

と言っても、もう荷物は業者のひとに預けたし、ほとんど何もない部屋。

 

明日も、私が移動して、最後まで使ってたものをゆうパックで送ったのを受け取るだけ。

預けた引っ越し荷物が届くのは週明け。

 

引っ越しのこと、初めての手続きごとも多いから楽しみであり、すこし緊張もあり、すべてひっくるめて他人事のようにも思えてきたり。

なんだろうな、この感覚。

一曲できそう、とか思うのかな、音楽していたら。そんな感じ。

 

テレビもないから、手持ち無沙汰でもうお布団の中。

明日は明日で持っていく荷物も多くて。

 

あれ?

荷物すくないすっきりした暮らししたいと思ってるのに。後から後から、引っ越し荷物は増えてゆく。なんでだろう。

荷ほどきのときにも、もう一度自分の持ちもの見直してみよ。

 

お昼ご飯を思い出す

もうすぐ引っ越すので(今度はブログではなく自分自身が)、最後だから、また次いつ来れるかわからないからと、好きなごはんやさんをめぐってる。

 

最後、と思うとなんだかせつなくなる。

そんなの、引っ越さなくても最後、というのはいつやってくるかわからないのに。

 

そう気づいたら1日1日をしっかり意識して生きたいなと思ってきた。

でも、ゆるく。

 

はー、今日食べたお昼おいしかった。ふわー。余韻が戻ってきた。帰ってきたら、また行こう。

話していて

人と話していて、たまに同時に話し始めてしまう時がある。

普段話している時には、そんなことないのに、なんか、疲れていたり、自分が話したいことがたくさんで頭の中がいっぱいいっぱいだったり、相手の人と噛み合わないときにそういうことって起こるような気がする。

そういうことがたまに起こるとなんだか申し訳ないし、気まずい。

相手の人の話を聞いて、自分も余裕を持っていきたいなぁと思う。

外でミートソースが食べられない

ご飯を食べる時、すぐソースなどを服に飛ばしてしまう。小さい時からそうだったんだろうか。気づけばずっと、今も。

 

だから外でミートソースやナポリタンを食べれない。カレーうどんなんてもってのほか。

なんか損してる気分もするが、飛んでしまうものは仕方ない。

最近CMで、「もみ洗いせずにきれいに落ちますよ」ってやっているけれど、もみ洗いも何も、外出先でついたのを外に帰るまでが切ない。携帯用洗濯機を買えばよいのかな。うーん。

 

少し話がそれるけれど水との距離感、正確に言えばコップとの距離感がつかめないときもある。

あれもなんだろうか。

ぼーっとしてるのかな。

気づけば太ももに水がどばっと。

話したり、考え事したり、ぼーっとしたり、していて、それに集中してるのかな、いいように言えば。

 

大人になったら、直るというわけでもなく、気をつけていても気づけばあちらこちらに何かしらか飛んでいる。人と話しながら食べているとなおさら。

 

今日は、ボンゴレビアンコを外で食べた。1人で食べていたから最大限の注意してきっと飛んでないはず。

いつか、誰かと楽しく話しながらボンゴレロッソ、の方をソース飛ばさずにおいしく食べてみたい。

何才に見える?

この質問、どう答えたらいいんでしょうね。

自分からこの質問をしたことはない。これからもこんな聞き方をすることはないと思う。でも、私が自分の歳を言ったら相手は嘘か本当か、絶対に驚く。

 

私は昔から、実年齢よりも年下に見られることが多い。きっと原因は背が低いから、そしてぼーっとしてるからだろうと思っていた。でもなんだか最近はよく分からなくなってきている。原因も、そして自分の歳も。

制服を着ていた中高生のときならその学校の制服だから年齢は分かっただろうけど、それからは笑えるくらいの出来事も数知れずある。

 

例えば、大学時代、マニュアルきっちりなことで有名である某有名ファストフード店で店員さんに明らかにタメ口、というか子どもに話しかけられるような口ぶりで話された。私は敬語で話しているのに。タメ口、というだけなら親しみやすいお店ならそういった接客方法だったりすることもあるし、それがすべていやというわけではない。そのお店がマニュアル接客のファストフード店というのが言いたいところだ。

そして服装もボーダーTシャツにスキニージーンズっていう子どもっぽくもない格好だったのに。

その時はキレていたと思う。もちろん心の中で。

そして今では思い返すとあれはなんだったんだろうと思う。

 

そして、5.6年まえ、もう大人も大人な年。私は友人と東京のバスに乗っていた。その時私はICカードを持っていなかったので、友達が「2人分払います」と運転手さんに言った。「ありがとう」と私は先にバスを降りたが、降りた後に友人が一言、「さっきのバス代、〇〇さんの分、小学生料金でしたよ」

驚きと笑いが同時にやってきた。

小学生の子どもがいてもおかしくない年なのに、私が小学生って。その時の服装もシンプルな服に、そうだベレー帽かぶってた。

いやいや、思い上がりだ。きっと顔が帽子で見えにくかったんだと思う。身長はどうであれ、雰囲気でわかるだろうよ。それか運転手さんが引き落としのボタン間違えたか。うん、そうだ。そう思いたい。

 

こういったことも重なり、ここ最近までお店でお酒を買うのもはばかられた。呼び止められるかもと考えたら恥ずかしかったんだと思う。

早く大人になりたい、と10代からものすごく大人っぽい海外(ひとくくりにしちゃうのも偏見だけど)に比べて、年齢を若く見られるというといいことのように思われがちな日本だけれど、私の場合はそういうことではないし、そして何よりも年齢が若いからいいってこともないと思う。

私も、大人っぽくしようとか、反対に若く見られたいとかで外見を変えたりしていないからなぁ、私はあくまでも私。

 

学校を卒業すると、あまり年齢を言う、そして聞く機会が減っていくように思う。私だけだろうか。自分からわざわざ言わないし、聞きもしないからなのか。そんなに年齢が気にならないのかもな。

 

私は年下だからこう接しようとかあんまり考えない。敬語だったりもする。年下の人、ではなく1人の人、として接する。前に書いた友人の1才の子どもと話す時にも敬語なのも1人の人として接しているからかもしれないなと思う。年齢関係なく、尊敬している。

だからだんだん自分の歳もわからなくなってくるのだろうか。そしてそれがびっくりするほどの年齢不詳につながっているのだろうか。

 

普段から自分の歳を考えて生活してない、とまた違う友人に話したら、「え、、(ひきつって)気にしなよ、、」と言われた。それもあるね、あるよね。子どもが産める年齢とかね。でも、それもあるしそれを考えてないわけじゃないけど、私は私自身だから、私自身としてしっかり生きていきたいだけなのにな。と思った。 

その友人は年下は年下としてしか見れないし、尊敬するとか考えたことないと話していて、考え方いろいろだなぁと思った。

 

でも、私は人から一体何才くらいだと思われているのかは、ちょっと気になるところではある。でも、いくつに見られていても、まあいいか。