普通でいい加減

普通がいい、普通な人がいいと思っていた。

 

普通がいいなぁと思ってきたのは、ニュートラルなものの考え方が好きなのか?
ニュートラル、って響きはいいけどニュートラルって実際なんだ、デジタル大辞泉で調べてみた。

 

『いずれにも片寄らないさま。中立的。中間的。「ニュートラルな物の見方」』

 

うーん、私が言いたいことと合ってるような合っているところとそれ以外にもあるような。

そもそも普通ってなんだ。またまたデジタル大辞泉で調べてみた。

 

『「 普通」は意味の範囲が広く、「どこにでも普通に生えている草」のように、ありふれている、珍しくないの意、「ごく普通の子」「普通科」のように、特に変わりがない・平均的・一般的なの意に使われる。』

 

 

普通ってそうかー。私の言いたいことは普通ともちょっと違うのかな。

偏見ばかりで凝り固まっている人は嫌だけど、そう、ニュートラルというか、人の意見をきちんと聞けて、正すところは正して間違っていたことはきちんと認められる人。常識がある。

そしてそして、いい'加減'、いい塩梅なのが私の思う普通だ。真面目なところとユーモアがあるところのほどよさ、よい'加減'。

そうか、私の思う普通だから他の人が思う普通とも違うことがあるのかもな。言葉の意味としてはありふれている、ということであっても。

うーん、むつかしい。

 

昔の彼氏に「普通なところがいい」と繰り返し言っていたらあまりうれしい顔されなかったのも、私にとっては最高の褒め言葉だと思っていても、その言葉の意味だけで捉えられていたのかもな。

私も普通でいられる普通。いいと思うんだけどな。

 

言葉を、自分が思う意味としてしっかりと相手に伝えるのって、むつかしいことなんだなぁ。でも、伝わったらきっと、うれしいだろうな。

 

昔から好きなタイプを聞かれて普通がいいと言っても分かりにくいと言われていたし、私の普通は理想が高いからなんて言われたりもした。なんだそのイメージ。
でも普通って、普通じゃないのか、だんだんよく分からなくなってくる。

 

 普通って奥が深い。

 

 

読書とコーヒー

いつの頃からか、はたまた昔からだったのか、家で本が読めない。なかなか頭に入ってこない。

きっとそれは、自分の部屋だと色んなものが目に入って勉強ができない、というのと同じなのかな。

なんだか、浮き足立ってしまう。本の中に入っていけない。

夜、眠る前に布団の中で読むのにも憧れるけれど、まずスタンドライトを買いに行くところから始めなければいけない。そしてスタンドライトずっと欲しいと思ってるのになかなか欲しいと思うものに出会えていないことを思い出した。こういうものは、適当に買いたくない。

 

本を読むときには、喫茶店が一番だと思う。

喫茶店で本に集中できるのは、ひとりだとコーヒーだけで手持ち無沙汰な気持ちだからなのか、空気がそうさせるのか。本が読みたいから喫茶店に行きたくなる。

 

そんなことをいいながら、今日は一軒家で靴を脱いで上がる、フィンランドでもないし外も見えないけれどかもめ食堂のようなごはんやさんで、食後にコーヒーを頼んで本を読んでいた。

そういえばコーヒーも人に淹れてもらった方が美味しいと思うので自分で淹れることはしないし、だから外で飲むばかりだ。

読書とコーヒーもひとつのセットなのかもしれないな、と思いながら、コーヒーを飲み終えると同時に本も読み終わった。

 

小さな発見

きっと前から知っていた、というか、言うまでもないくらいもう、当たり前だからか。

 

でも、数年前に気づいてはっとしたことがあった。

電柱の太さ。

上に向かって細くなっている。

思えば空を見上げた時に、あの太い電柱を見たことない。

でも気づくまで気づいてなかった。

 

 

とにかく、とにかく、気づいた時にはものすごくはっとした。そして世界がクリアに見えた。

視力がパッと良くなるような。

視界が鮮やかになるような。

そんな感じがした。

 

 

すぐあとに会った友人にそのはっとしたテンションのままそのことを打ち明けたら、反応は冷ややかだった。

そうかー、そういうもんだよな。

 

でもね、私はものすごくはっとしたんです。

それでいいや。

ちょっとは共有したかったけどな。

 

エイプリルフール

エイプリルフール。

いつも、毎年、気づけば過ぎているこの日。

今年はブログも書いている事だし、このお題で書いてみようと思う。

 

エイプリルフール。

 

嘘をついてもいい日?なの?

あえてここでインターネットには頼らない。

ググらない。

 

 

ツイッターを見ているとタイムラインにはこの日のために考えてこられたであろうウィットにとんだ嘘がたくさん並んでいた。

くすっと笑いたくなるような、うまい、って唸るような嘘。というかネタというか。

みなさん、よく考えてらっしゃるなー。

 

そういう気の利いた嘘なら、許したくなるし、面白がれる。そうか、そういうウィットにとんだ日か。

でも、嘘か本当か判別しかねる嘘や、ましてや人を悪くいうような嘘は、エイプリルフールに反してる気がする。(自分の中での判断)

 

楽しい嘘ならつきたいけれど、今すぐにすっとでてくるものじゃないので、今日も相変わらずいつも通りの私でいようと思う。