ブログとインスタグラムとツイッターと私
どれも鍵はかけずに公開しているのに、ブログはほぼ誰にも知らせていないせいか今まで誰にも言っていなかったようなことが言えているとふと思った。
ツイッターは文字数もあるし今気づいたことを書いたり情報を得たり、インスタグラムは写真がメインな気がして、ブログは文章がメイン。
でも、そう言えば昔の私のブログはインスタグラム以前だったからか写真+一言だったなぁと思い出した。そう、インスタグラムが無い時代。
ともあれ、何でもかんでも友達に話しているわけではないだろうし、意図的でなくてもその話題にならないと忘れてて話しそびれたり、とにかくあまりこのブログは知り合いに読んでもらうにははずかしい気がしてきた。なんでだろ?
そんな、イメージ、なんて昔は決め付けられたくないとまで思っていたのにそれを自分でつくろうとしてるのか、と思ったらおかしくなってきた。おもしろいな。
でも知らない人の前だからこそ、言える事もあるのだろうか。友達に読まれると共通の思い出だったりすることもあるから「あのときこんな風に思ってたんだ、ふーん」みたいなのがあるからはずかしいのかな。でも、なんか鍵はかけたくない気がしちゃう。うー、なんでだろうか。フラットでいたいからか。客観的に見れる視点が持てるからいいのかな。なんて言ったらいいんだろうな。
ブログだととりとめなく気兼ねなく話せるのがいいのかなあ。気兼ねってなんだ。
ブログもインスタグラムもツイッターも私だし、でもそこに表われている面だけが自分でもないとも思う。そして気づかぬうちに使いわけてたのに気づいておもしろい。
これからまた新しい何かが出てきて、使い分けていたりするのかな。今も時期によってそれらに接する頻度はまちまちだし、義務的にするものでもないし、どれもしなくなったりもするのかもな。それもまた、おもしろい。