何才に見える?

この質問、どう答えたらいいんでしょうね。

自分からこの質問をしたことはない。これからもこんな聞き方をすることはないと思う。でも、私が自分の歳を言ったら相手は嘘か本当か、絶対に驚く。

 

私は昔から、実年齢よりも年下に見られることが多い。きっと原因は背が低いから、そしてぼーっとしてるからだろうと思っていた。でもなんだか最近はよく分からなくなってきている。原因も、そして自分の歳も。

制服を着ていた中高生のときならその学校の制服だから年齢は分かっただろうけど、それからは笑えるくらいの出来事も数知れずある。

 

例えば、大学時代、マニュアルきっちりなことで有名である某有名ファストフード店で店員さんに明らかにタメ口、というか子どもに話しかけられるような口ぶりで話された。私は敬語で話しているのに。タメ口、というだけなら親しみやすいお店ならそういった接客方法だったりすることもあるし、それがすべていやというわけではない。そのお店がマニュアル接客のファストフード店というのが言いたいところだ。

そして服装もボーダーTシャツにスキニージーンズっていう子どもっぽくもない格好だったのに。

その時はキレていたと思う。もちろん心の中で。

そして今では思い返すとあれはなんだったんだろうと思う。

 

そして、5.6年まえ、もう大人も大人な年。私は友人と東京のバスに乗っていた。その時私はICカードを持っていなかったので、友達が「2人分払います」と運転手さんに言った。「ありがとう」と私は先にバスを降りたが、降りた後に友人が一言、「さっきのバス代、〇〇さんの分、小学生料金でしたよ」

驚きと笑いが同時にやってきた。

小学生の子どもがいてもおかしくない年なのに、私が小学生って。その時の服装もシンプルな服に、そうだベレー帽かぶってた。

いやいや、思い上がりだ。きっと顔が帽子で見えにくかったんだと思う。身長はどうであれ、雰囲気でわかるだろうよ。それか運転手さんが引き落としのボタン間違えたか。うん、そうだ。そう思いたい。

 

こういったことも重なり、ここ最近までお店でお酒を買うのもはばかられた。呼び止められるかもと考えたら恥ずかしかったんだと思う。

早く大人になりたい、と10代からものすごく大人っぽい海外(ひとくくりにしちゃうのも偏見だけど)に比べて、年齢を若く見られるというといいことのように思われがちな日本だけれど、私の場合はそういうことではないし、そして何よりも年齢が若いからいいってこともないと思う。

私も、大人っぽくしようとか、反対に若く見られたいとかで外見を変えたりしていないからなぁ、私はあくまでも私。

 

学校を卒業すると、あまり年齢を言う、そして聞く機会が減っていくように思う。私だけだろうか。自分からわざわざ言わないし、聞きもしないからなのか。そんなに年齢が気にならないのかもな。

 

私は年下だからこう接しようとかあんまり考えない。敬語だったりもする。年下の人、ではなく1人の人、として接する。前に書いた友人の1才の子どもと話す時にも敬語なのも1人の人として接しているからかもしれないなと思う。年齢関係なく、尊敬している。

だからだんだん自分の歳もわからなくなってくるのだろうか。そしてそれがびっくりするほどの年齢不詳につながっているのだろうか。

 

普段から自分の歳を考えて生活してない、とまた違う友人に話したら、「え、、(ひきつって)気にしなよ、、」と言われた。それもあるね、あるよね。子どもが産める年齢とかね。でも、それもあるしそれを考えてないわけじゃないけど、私は私自身だから、私自身としてしっかり生きていきたいだけなのにな。と思った。 

その友人は年下は年下としてしか見れないし、尊敬するとか考えたことないと話していて、考え方いろいろだなぁと思った。

 

でも、私は人から一体何才くらいだと思われているのかは、ちょっと気になるところではある。でも、いくつに見られていても、まあいいか。

佐藤雅彦さんのCM

この間、夜11時くらいにたまたまテレビを見ていたら、CMをつくる人たちが嫉妬する人というコーナーで佐藤雅彦さんが取り上げられていた。

 

佐藤雅彦さんが手がけているものと言えば、いまではピタゴラスイッチが有名だけれど昔はCMをつくられていた。

 

ドンタコスやポリンキーやスコーン。

なつかしいCMが次々に流れた。

 

そう言えばバザールでごさーるや旧住友銀行バンクーも佐藤さんが手がけたキャラクターだ。

佐藤さんのつくるキャラクターには、ユーモアとかわいさが詰まっていると思う。

 

この間、キャラクターグッズに手が伸びないとあれだけ言っていたけれど、佐藤さんから生み出されるCMキャラクターのグッズは、欲しいって思う。それにはもう手に入らないのもあるから、ということもすこしはあるのかもしれないけれど、バザールでござーるの昔もらったポスターは、今でも大事に持っている。バンクーのグッズは今でも欲しいくらい。

 

数年前にポリンキーの着ぐるみを街で見かけた。ジョンかな、ポールかな、ベルモントかな、きっと昔のフランスの俳優さんからとられたであろうそのキャラクターの名前を思い浮かべて、CMがすごく懐かしくなったことも思い出した。今でも思い出すだけで顔がほころぶ。

 

スマホ

最近スマホの調子が悪い。タッチパネルを触っても反応してくれなかったりする。

人として認識されてない?

自動ドアが開かなかった時のような寂しさ。

電源を切ってもう一度挑戦してみたり、画面を拭いてみたり、アプリを消してみたり。それで機嫌を直してくれたり、まだ機嫌が悪かったり。

もっと機嫌が悪くなると、スマホが自分で勝手に動き出す。いろんなボタン押して画面を出しては消し、意味のない文字列を入力しだす。こうなってくるともうどうしようもなくて、強制的に電源を切る。

 

うーん、機嫌じゃなく寿命なのか?

まだまだ使いたいんだけどな。

ずっとこれからも使ってたいのに。

うーん。

 

何事もなく使えるときもあって、でも急に次の瞬間には画面を触っても反応してくれないときもあって。

スマホの様子を伺いつつ、こわごわ使う日々。と言いながらも普通に使えてる時には動かない時をすぐ忘れてしまう。

 

もしかしておじいちゃんスマホなの?

そう考えるといたわりの気持ちが強くなってきた。

2年で老けちゃうの?それが寿命なの?

まだまだ、元気でいてよ。

 

今日の教訓

今日のは私自身に対する、私に向けてのものなので、もしこのページにふらっと来てしまった方がいたら、すいません。他の日をよければみてください。

 

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疑ってばかりの生活もいやだし、人は信じたいと思うけれど今日みたいなことが稀にどかんと起こるから怖くなってしまう。

 

重要なことを決める時、ハンコを押すとき、複数人での確認をする。

信頼できる人からの紹介でも、手放しでは信用してはいけない。自分の目で、もう一度確認する。

 

こうやって書くと普段から心の隅にとめていることだったりもするのに。くやしい。

だからこそ慎重にしていた、はずだった、のに。

ハンコを押す前に気づけたのがよかったところ。でもくやしいし怖いし悲しい気持ちだけが充満している。

社会勉強になった、と父は言ってくれたが、これからの人生ひとりでこんな調子だと怖い。本当に。

いい人ばかりではないのも分かってるつもりだったけど、世の中にはほんと、いろんな人がいる。会社がある。

見極める力と回避していく力。自分の周りには、やっぱり信じれる人がいてほしい。

 

あんまり悔しさや悲しさや怒りの感情は残しておきたくないけれど、教訓なのでここに記しておく。

 

 

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もし、ここまで読んじゃったわよ、大丈夫なのあなた、という方がいたら、なんとか商法やオレオレ詐偽とかではないので安心してください。とにかく将来の私にむけての、教訓。

反応しすぎる

急だったり、大きな物音にびくっとしてしまう。

そういうこともあって気づけばアクション映画やアトラクションからは遠ざかった生活になっている。

電車の中で前の人が大きくくしゃみした。びくっとなった。
あ、また違う人がした。はっとした。人から見たらこのくしゃみの度にびくっとなっている私の様子はどう映っているのだろう。大げさなのか、はたまた気づかれないくらいなのか。
自分でも分からない時と、反応が大きかったときと、あとはもうすぐくるかなーと合わせてびくっとなって自分でおもしろがってる時がある。
一番最後のはタイミングが合わないとちょっとはずかしい。