「いのちの車窓から」

星野源さんの新刊、「いのちの車窓から」を読んでいる。片手にはコーヒー。そう、この間のごはんやさんで読んでいたのはこの本だ。

ダヴィンチという雑誌での連載と書き下ろしが載ったエッセイ本なのだけど、申し訳ないことに私はダヴィンチを毎回ちゃんとチェックできていなかったので、初めて読む文章が多い。すいません。

 


星野源さんが気になり、ファンである友人にその魅力を尋ねていた頃、その友人からCDを借りつつ、以前出た「そして生活はつづく」の文庫が本屋さんに並んでいたのを目にして思わず購入した。今ではファンである星野源さん関連のものを初めて買ったのはその文庫が初めてだった。
おもしろい文を書く人だなぁ、というのが一番初めに読んだファンになる前の印象で、そして自分のことをこんなにさらけ出していいのかな芸能人なのに、なんていらない心配までした。

それから星野さんにも、もちろん私にも月日は流れ、新刊の「いのちの車窓から」を読む。
エッセイを読んでいると、書いている人が側で話しているような錯覚に陥る。本の中に入っているということなのか。
星野さんの周りで起こった出来事や好きな人たちとのことが綴られていて、読んでいてあたたかい気持ちになる。そしてその出来事をしっかり覚えていて文章にできる星野さんすごいなぁと思った。そうか、エッセイを書かれて10年。
年数が経っているから、うまい、えらい、ということはないだろうけれど、文章が上手くなりたいからそれを仕事にする、という発想には はっ とした。
そして物事の見方、捉え方がいいなぁと思った。
この本には人は変わっていくし、そのことを昔はこう思っていたけれど、と反省したり思い返しては今はこう思うと述べられていたりした。

自分だって、ましてや周りの友人や家族だって、昔のあの頃とは考え方が変わったり、変わらない部分もあったりするんだということを改めて心に留めた。
なぜか、友人や家族など周りの人の考え方は昔から変わらないような気がしてしまう。会う頻度が高いから、緩やかに変わっていってもわかりにくいのかな。自分も同じように変わっていってるからかな。

 


星野さん自身も「そして生活はつづく」の頃から、それなりの年数は経っているから変わった部分もそりゃああるだろうし、変わらない部分もあるだろう。
「いのちの車窓から」ではすごく成長して見えたのは、自分のことをあまりさらけ出して、卑下したりしていないからだけではないと思った。偉そうに言うつもりはもちろんありません。

なんだろう、上手く言えないけれど、本を読んでいると今を生きることを肯定してくれている気持ちになる。

そして、星野さんも昔より生きやすくなっているんだろうな、そうであってほしいなと思った。