普通でいい加減

普通がいい、普通な人がいいと思っていた。

 

普通がいいなぁと思ってきたのは、ニュートラルなものの考え方が好きなのか?
ニュートラル、って響きはいいけどニュートラルって実際なんだ、デジタル大辞泉で調べてみた。

 

『いずれにも片寄らないさま。中立的。中間的。「ニュートラルな物の見方」』

 

うーん、私が言いたいことと合ってるような合っているところとそれ以外にもあるような。

そもそも普通ってなんだ。またまたデジタル大辞泉で調べてみた。

 

『「 普通」は意味の範囲が広く、「どこにでも普通に生えている草」のように、ありふれている、珍しくないの意、「ごく普通の子」「普通科」のように、特に変わりがない・平均的・一般的なの意に使われる。』

 

 

普通ってそうかー。私の言いたいことは普通ともちょっと違うのかな。

偏見ばかりで凝り固まっている人は嫌だけど、そう、ニュートラルというか、人の意見をきちんと聞けて、正すところは正して間違っていたことはきちんと認められる人。常識がある。

そしてそして、いい'加減'、いい塩梅なのが私の思う普通だ。真面目なところとユーモアがあるところのほどよさ、よい'加減'。

そうか、私の思う普通だから他の人が思う普通とも違うことがあるのかもな。言葉の意味としてはありふれている、ということであっても。

うーん、むつかしい。

 

昔の彼氏に「普通なところがいい」と繰り返し言っていたらあまりうれしい顔されなかったのも、私にとっては最高の褒め言葉だと思っていても、その言葉の意味だけで捉えられていたのかもな。

私も普通でいられる普通。いいと思うんだけどな。

 

言葉を、自分が思う意味としてしっかりと相手に伝えるのって、むつかしいことなんだなぁ。でも、伝わったらきっと、うれしいだろうな。

 

昔から好きなタイプを聞かれて普通がいいと言っても分かりにくいと言われていたし、私の普通は理想が高いからなんて言われたりもした。なんだそのイメージ。
でも普通って、普通じゃないのか、だんだんよく分からなくなってくる。

 

 普通って奥が深い。