「ばらばら」
平野太呂さん写真、星野源さん歌、の本「ばらばら」が7刷になったみたいだ。すごい。
私もこの本を持っている。
そして私とこの本との出会いは病院だった。
4年前の春、私は病院にいた。
入院と言っても悪性のものではなく、内視鏡手術の10日間入院だった。でも、全身麻酔だった。全身麻酔も初めてだったし、それよりも麻酔をするからともしも万が一の時のためにと書かされた誓約書がすごく私の心を怯ませた。
だって。もしかしたら。
前の日には友達の結婚式。出たかったから入院の日にちをずらした。そして明日から入院だと言うのに私は最後まで友達たちと話していた。だって後悔したくない。
帰りぎわ、入院すると話してた友達が頑張れと紙袋を持たせてくれた。泣きそうになった。なんだか大げさにも考えすぎていたんだな。
お世話になった先輩にも会いに行ったりした。
だって。
でも、今から考えると、それで麻酔のままそのままぽっくりとか考えたのだろうか?
いやいやそんな不謹慎極まりない。
そして生きたい、死にたくない。
もっと美味しいもの食べたいし、笑いたいし、恋だって。その時好きな人いたっけな、どうだったっけか。
とにかく、おおげさに考えすぎていたのは否めないが、それだけ自分が今まで生きてきた中においては1番死について考えた出来事だったんです。その時の私にとっては。
病院では、6人部屋にいた。窓際の、1番奥。
手術も5.6時間あったように思う。目覚めた時には母がそばについててくれた。うれしかった。
1日目は個室にいたが、もう次の日には大部屋に移動した。
同じ病室には、乳がんの方や、がんで入退院を繰り返している私の母よりは少し下だけど、でも母世代の方が多かった。みなさん明るかった。
でも、病院、病室、看護婦さん、テレビで見た白い巨塔そのままの院長先生の回診、なんだかいつもの日常と違うことばかりで、そして、動き回れないしやる気もなくなって、だからなのか1日1日がものすごく、ほんとうにものすごく長い。なんだろうあれは。
とにかく、あの病院の、あの病室の感じに馴染めなくて、私はひとり、鬱々としていた。
入院しているひとに、話し相手なのか看護士の勉強をしている学生さんがついてくれて、たまに話しにきてくれるのだけど、なんか話題を見つけて、見つけようと話してくれるのだけど、その心遣いが、なんだか申し訳ないくらいに何も会話が続かないし、申し訳ない辛い気持ちが増えていくばかりだった。
そんな時に出会ったのがこの本で、なんと病院の図書館で出会った。
詳しく言うとCDというか歌はその時に聞けなくて後で自分で買ってから初めて聞いたのだけど、写真と詩とがすごくゆっくりとした波のように、寒い日に手を洗う時のぬるま湯のように、冬の日の陽だまりのように寄り添ってくれた。
写真の、切ない感じだけど穏やかな色。
今もページを開けたときの病院のあの大きな窓のある廊下の、柔らかな光を感じた光景がよみがえる。
私が退院してからしばらくして、一度復帰されていた星野源さんが再入院されることになった。星野さんの闘病は著書で知るところだが大変の一言では言い表せない色々なことがあったと思う。それはきっと本人にしかわからないし、また、私の病院で同室だった方々もそれぞれ、大変では言い表せない大変さを抱えていらっしゃったことだと思う。
でも、1つ言えることは私は星野源さんと平野太呂さんの「ばらばら」で落ち込んでいた心がすこしあたたかくなった。
ずっと最近まで星野源さんの歌には冬の日のやわらかい陽だまりが似合うなぁと思っていたのは、この時のイメージからだったんだ、と合点がいった。今も昔の曲にはそのイメージがあるけれど。
少し離れていた本を、この7刷の話題でもう一度見直した。
久しぶりに開いた本、 びっくりするほどにはっきりと、写真と詩が載っていてびっくりした。初めて読んだ時はものすごく、霧がかって、フィルターが何枚もかかっているように白っぽく感じたから。それは今とあの時との心と身体の変化なのだろうか、昔のことは、記憶でしかないからなのかなぁ。
この場を借りて、ありがとうございます。